OPERATIONAL PERFORMANCE花研コーヒーブレイク

秋の七草から思いますのは・・・

2026.10.05

こんにちは。花研の一研究員です。

「秋の七草」というと、私たちはつい七種類の植物の名前を暗記しようとする。

しかし、山上憶良の歌をよく読むと、個々の花そのものよりも、それらが広がる「秋の野」の全体像に彼の関心はあったように思える。

 

憶良はまず、「秋の野に咲きたる花を」と詠み、その後で「萩、尾花、葛、女郎花」などを数え上げる。そこでは一輪の花を鑑賞するというより、野に群れ咲く草花の景観全体を眺めている。

現代人が一本のバラやユリの美しさを評価する感覚とは異なり、憶良は風に揺れるススキ野原や、秋草が織りなす野辺の情景を愛していたのではないだろうか。

こうした指摘は新しいものではなく、万葉集を研究している先人達、折口信夫やドナルドキーンそして随筆家の白洲正子などが分析済みだ。個よりも風景を愛し、個の説明は風景の豊かさを際立たせるために過ぎないというものだ。

 

憶良の美意識は後の正岡子規とは対照的である。子規が一つの柿や鶏頭を鋭く観察し、その対象から季節や人生を立ち上がらせたのに対し、憶良はまず広大な風景を提示し、その中から個々の植物を発見していく。映画にたとえるなら、憶良は広角レンズで野山を映し、そこから草花へ寄っていく。子規はマクロレンズで一輪の花を映しながら、その背後にある世界を語る監督である。黒澤映画と小津映画の違いみたいな感じかしらん・・・。

 

話を戻そう。

彼の美意識はどのようにして醸成されたのか。遣唐使として大陸文明に触れた憶良が、帰国後に豪壮な宮廷の花木ではなく秋の野草を歌ったという経歴にヒントがあるのかもしれない。外国で大きな衝撃を受け、日本を見直すきっかけになった可能性がある。

帰国後、中国の人工的で管理された庭園美と日本の自然な野辺の景観を無意識のうちに比較するようになったのかもしれない。その結果、山上憶良らが見慣れていた秋の野辺の豊かさを、改めて再発見した可能性がある。

 

秋の七草とは、七つの植物のリストではない。むしろそれは、秋の野原そのものを詠んだ歌なのだろう。萩やススキは主役ではなく、秋という風景を構成する登場人物たちである。山上憶良は、日本最古のナチュラリスティックガーデナーだったかもしれない。

 

なんちゃって、ごめんなさい。秋なんで、文学映画園芸など、秋らしいアクティビティを勝手につなげてみた想像話です。

食欲も湧きますが、想像も湧く。そんな秋の到来です。

 

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