花研コーヒーブレイク
キラキラと光るもの
2010.06.02
巷では「デコ」なるものが流行っている。
携帯電話やデジカメ、手鏡、化粧品など、ラインストーンを使ってキラキラと小物をオリジナル装飾する。
その過熱ぶりを見ていると、エコの時代なんだか、デコの時代なんだか、よくわからなくなってくる。
とはいっても、人々がキラキラと光るものに惹かれるのは今に始まったことではない。
土偶といえば雲母が使われていたようだが、それもキラキラと光らせるためにあえて雲母を混ぜたらしい。
聖霊として神聖視していた土偶を作るときに(土偶が作られた目的ははっきりとはわかっていないようだが)、キラキラと輝くようにしたのは想像に難くない。
音楽も、普通に考えれば目に見えるものではないが、聞いていると旋律が際立ち、キラキラと光っているように聞こえることがある。或いは、ウィンドチャイムの音(キラキラ音のパーカッション)が効果的に入った旋律は、一度聞けば数十年にも亘って忘れられず、幼い頃に聞いた音楽が未だに頭の中に残っていたりする。 目に見えないときめきや揺らめきを聴覚に訴え表現された繊細できらびやかな音は、感性に強烈なインパクトを与え、記憶から消え去ることはない。
海や川の水面が太陽の光に反射してキラキラしているのを見ると、思わず心を奪われる。
森林を歩いて、ふと木を見上げた時に見えるキラキラとした木漏れ日は、なんとなく幸せな気分にしてくれる。
物や音楽だけでなく、人でさえもそうだ。キラキラと輝き魅力ある人に人々は集まる。
そう考えると、一般論として女性が宝飾品などの光りモノを欲しがるのも、自然の道理なんだと得心する。
キラキラと光るものに惹かれるのは、可視性の如何にかかわらず今も昔も人の本能なのではないだろうか。
生活のすぐ横に咲く一輪の花が、ふとキラキラ見えることがある。小さくてもそんな花に魅せられて、私の心は和まされる。