花研コーヒーブレイク
キク
2013.08.28
一体いつから一般消費者の皆さまにキクはお別れの花というイメージがついてしまったのだろう。
キクは元々祝いの花だった。重陽の節句で菊花が用いられるように健康長寿の象徴として、また皇室の紋章がそうであるようにキクは高貴の花としても愛でられてきた花のはず。
花持ちも良く、色・サイズ・形などのデザイン性に加え、生産性など全てにおいて優れた品種が数えきれないほど流通している。
ところが、おしゃれでいま風のブーケにも合うようなキクが育種されても尚、母の日などのギフトに入っているとキクであるという理由だけで返品されることがあるというお花屋さんの話をキク・・・あ、「聞く」。大阪からのご注文でスプレーギクのヨーコ・オノを使ったら、「うちの母はまだ生きています!キクを使うなんて縁起が悪い」とお叱りを受けたこともあるのだとか。
これはキクの花に対する間違えた解釈が広がってしまったが故のことで、なかなか行きすぎた話のようにも思うが、お花屋さんであればこういったことを経験された方もいらっしゃることと思う。
ではなぜ、その行きすぎた拒否反応を引き起こすほど、キクはすべからく葬儀の花と思うようになってしまったのだろうか。
実は、それは花と日本人の長い関わりの中でも、ほんの最近のことなのではないかと思う。
例えば、1972年、レコード大賞を受賞されたちあきなおみさんは、黄色い輪菊の花束を抱えて歌っている・・・「♪いつものようぉ~に 幕ぅが開き~」
同年の最優秀新人賞浅丘めぐみさんはピンクの輪菊、そしてなんと最優秀歌唱賞の和田アキ子さん(♪あの鐘を~鳴らすのは はなぁたぁ~!)は白の輪菊の花束を抱えているのである!
プロレスといえば、花束贈呈が始まる前の儀式だったが、古い資料を見ればイゴール・ボディックというアメリカの選手(←ご存知ですか?)がやはり輪菊を右腕に抱えている。
少なくとも、昭和中期のこのころまでは施設栽培の花が少なかったこともあるだろうし、「キク、イコールすべからく葬儀の花」というイメージには直結していなかったと思われる。色形も豊富で華やかな姿のキクは、葬儀のみならずあらゆるシーンで重宝されていた。
では、なぜ白の輪菊が葬儀に使われるようになったのか。
それは葬儀の花の条件として、周年を通じて常に出荷量も価格も安定していること、保存性が良いことなどが挙げられる。これらの条件を満たす最も優れた花がキクだったというわけである。
加えて、まっすぐにすっと伸びた1本の茎に1輪だけ付く凛とした姿は、葬儀のような厳粛な場に適している上、また亡き人に対する敬意を表す意味でも相応しい。
キクの香りには「カンファー」や墨をすったときに感じられる「ボルネオール」と呼ばれる特徴的な香気成分が含まれ、その場の空気感を清めているようにも思う。
その通り、『古事記』には水で穢れを禊祓いする力を持つ菊理姫神(きくりひめ)が出てくる。この神様は、死の世界の穢れにまみれた素戔鳴神(すさのお)の穢れを祓った神としても知られている。人々は、知らず知らずのうちにキクに穢れを祓う霊気を感じていたのかもしれないかもしれない。
花伝書『池坊専応口伝』(1543年)では、キクをめでたい花と位置付けている。
「祝言に用うべき花」として挙げている花材を紹介する。理由を横に添える。
マツ・・・常緑の栄木、神の依り代、困難に耐える、節操を守る、繁栄・長寿の象徴として、枯れ落ちても離れない
タケ・・・常緑の栄木、子孫繁栄、神の依り代
ウメ・・・君子の徳を意味する
キク・・・長寿の象徴
モモ・・・邪気祓い、延命長寿
ギボウシ・・・茶の花として好まれる
葬儀の花も高貴の花も表裏一体。 その姿や香りさえも含め、キクはオールマイティに使える大変優秀な花なのである。
以前も小欄でこの写真を紹介させていただいたが、スウェーデンのちょっとした高級レストランにいけば、テーブル花に白の輪菊を一輪挿しにしてお客様をお迎えすることだってある。 白の輪菊イコール葬儀だなんて、最近の日本人が生み出した勝手なイメージに過ぎない。
葬儀に白の輪菊を使うのは、生産の利点から利用者の便宜を図った選択で、日本の古い文化でも何でもない。どうか消費者のみなさまには、キクを悲しみの花と思わず、奈良時代後期からいつも時代もずっと日本人に愛されてきた日本人の心の花ということで、改めてキクを見直していただきたい。
◆参考文献
『暮らしのなかの花 花の民俗誌』 並河治著 社団法人 農山漁村文化協会
『亡き人への花』 徳島康之著/鈴木昭監修 山水社
『花の文化誌』 小林忠雄/半田賢龍著 雄山閣