花研コーヒーブレイク
「平成」のライバルだったもの
2013.07.23
現在の元号が「平成」と決まる際、ライバルだったものがある。
1989年、昭和天皇崩御の2時間後、新しい元号の選定のために臨時会議が開かれた。それ以前に有識者によって提案された元号案を3案に絞り込む。
次に「元号に関する懇談会」と称して、委嘱されていた懇談会メンバーが招集される。NHK会長や日本新聞協会会長、大学の協会や連合会の会長など。
開催は官邸大食堂にて。
各委員に提示された新元号案は次の通り。
1.平成
2.修文
3.正化
イニシャルレターをローマ字で略す時に、平成以外はSとなり、昭和と紛らわしいといういう雰囲気があったという。
次に群馬県が輩出した偉人の一人、小渕恵三官房長官(当時)が衆参両院の正副議長に三案を示す。そこでは「長官にお任せします」とのことだった。
その後、官邸で前閣僚会議が開かれる。3案までに絞り込まれたこの時に及んでは、既に意見も少なく、最後は小渕氏が議題を引き取り、
「ではこの辺で。平成がよろしいかと存じます」
とまとめたという。
この直後、政府から宮内庁に電話し、即位されたばかりの今上天皇に報告、小渕氏が記者会見で筆書きされた「平成」の額を掲げ、「平成おじさん」が誕生する。このシーンは、未だ私たちにもかなり印象的な光景だ。
「平成」の案は東大名誉教授の山本達郎氏の案だったという。出典は『史記』の「内平らかに外成る」、と『書経』の「地平らかに天成る」から。
天地が平和で、国内外の平和も成就するようにという願いが込められている。
ちなみに、日本の最初の元号は645年の「大化」で、「平成」はそれ以来247番目の元号。中でも「平」の文字が使われたのは過去11回、「成」は平成が初めて。
この平成に込められた願いの通り、今後は末永く天地に平静が訪れ、国内外も平和で安定するとともに、参院選の選挙が終わった今、日本国に籍を置く一人一人の幸せを願う政治を期待したい。