花研コーヒーブレイク
花卉 or NOT
2023.04.20
こんにちは。みんなの花研ひろばです。
先日、某種苗会社のMさんが花研にお越しくださり、いろいろと教えていただいていましたら、自生している植物に価値を見出すか否かという話題になりました。つまり、大田市場周辺や畦道などにモシャモシャと生え、花瓶に生けることなど想定されずに命を宿す植物たちに価値を見出すものかどうかということです。
例えば里山の湿地に生えるミソハギ。お盆に欠かせない植物ですが、価値があると知っている・見出した人たちは盆花として市場流通のミソハギに対価を払って仕入れるでしょう。しかし、そうではない人たち、文化の違う人たちにとっては対価を払うまでもなく、シンプルに野の花にすぎないかもしれません。あるいは名前すらついていないかもしれません。
つまり社会と人が価値があると見出した植物に観賞の価値があるということになり、観賞用植物、つまり花きとしての市民権を得る。それまでは観賞価値があるかは判然としません。いってみればこれは観測して初めて位置が決まる量子力学に似ているように思います。人が観賞することで初めて価値が出るということです。
※私見ですよ。巷の物理に詳しいかたはつっこまないように。反論したい方もつっこまないように(笑)。ただの落書きです。
もちろん自生しているものも、野生のものも観賞価値があると誰かが判断すれば価値がある。そういう判断がなければ価値は不確定のままということです。雑草という草はないと牧野富太郎博士はおっしゃったのですが、なんだか似ているように思いました。
ちょっとしたアイスブレイキングのトークからこんなことに考え巡らし、そのお客様がくださったヒントには感謝しています。
来客先生はあらまほしきことなり・・・ですね。
それではみなさま、ごきげんよう。