花研コーヒーブレイク
考察:花消費のメインカテゴリー 洋の東西における違い③(最終)
2012.10.25
前回に引き続き、今回は日本の花使いの原点についてです。
10月22日の小欄にて結論から申し上げました通り、日本の場合、花の用途は自然との一体感を感じるため、田などに宿る神様との交信のために使うところに始まりました。
ココが西洋の原点と大きく異なるところで、水が豊富にあった日本では、「臭いは洗い流して消していた」ため、効能としての香りは植物に求めていませんでした。
「神との交信」「自然との一体感」とはつまりどういうことかとちうと、例えば早乙女(さおとめ)とは、神宿る植物(=稲)と地面とを結び付けていく行為(=田植え)をしていく穢れのない女性のことですが、彼女たちが田植えの前の神事に頭に付けていたのは、その時期に咲く藤などの花。或いは、田植えの際にかぶる三角の傘の上にはボタンなどの花が付いていて花笠と呼ばれましたが、そのように神聖な農耕イベント行う時は必ず花を身に付けていました。
早乙女とは巫女にも通じるのですが、巫女は神事を行う時にも必ず頭部に花を挿していました。そうすることによって神と交信し、自然に対して働きかける力を強めようとしていたのです。
今でも古より引き継がれている神事に参加する巫女さんたちを見ていると、頭に花や植物を挿しています。
ここに花を身に付ける原点があったわけですが、実は「花を身に付けるのはファッションである」としたのは、平安時代の宮中の男性でした。
頭に花を挿す→挿頭(かざし)文化がファッションとしての花の原点です。挿頭は、植物や花という神聖なものを身に付け、男力をアップさせるものでした。
それがいずれ女性用に転用されて、「かんざし」になります。そういえば現在のかんざしでも植物のモチーフが多いことに気付きますね。この点においては西洋のティアラと似ています。
平安時代の十二単は、実は花を象徴した着物です。花を描くのではなく、色を重ねることで花を表現し、延いては季節を表現しました。
例えば、青とエンジを衣を重ねて着ることにより、ツツジの花を表し、開花期の5-6月頃であることを表現しました。或いは、白と蘇芳(すおう)色で桜を示し、つまり4月であることを表現しました。黄色と橙でヤマブキ→4-5月など、たくさんの例があります。
花がなかった冬はどのように表現されていたのか。それは白とグレーなどで雪を象徴し、冬を表現していたといいます。
このノウハウ、今のブーケ作りにも使いたいですね。
18世紀になると友禅染が開発されました。友禅染が誕生するまでは花模様は刺繍などで描かれていましたが、宮崎友禅斎によって花模様を布に染める技術が実現したのです。
当時は服を着ることを「花をまとう」と表現していました。着物にはそれぞれに美しい花が描かれていたのですね。
このような変遷を辿り、衣服にしても髪飾りにしてもファッションとしての花のモチーフが現在において使われるようになったというわけです。
ではファッションとは異なる生花の使われ方はどうかというと、先述の通り神事で祖先や神様との交信に使うことが原点にあるため、やはり現在においても日本の花は、お盆、お彼岸、お正月などの日本古来の物日需要が大きいというところで得心が付きます。
ここで10月22日の結論に戻るのですが、日本では農耕イベントや神事と結び付いて花や植物を使うことが花使いの原点。だから現在においても、お盆やお彼岸などの物日消費が大きい。
デイリーのホームユースは最近開発された需要。それだけに意義は大きい。
一方、西洋では、消臭や薬効を期待して花や植物を使うことが原点にあった。エチケットやおしゃれのために花を携行したが、ハンズフリーになるよう家の中に置いて楽しんだ。ここから日常使いが定着した。現在でも西洋では日々のホームユースがメイン。
ということになります。
川崎先生のお話はもっと面白く、講演中は始終聴講生を引き付けるものがあるのですが、小欄ではアタクシの能力不足から、まとめるのがうまくいかずすみません。それでも、これまでの流れを読んでいただき、興味を持っていただけると幸いです。
ちなみに、このような花の文化について考える川崎先生の考花学は、大森のマミフラワーデザインスクール教室でどなたでも受講できます。