花研コーヒーブレイク
2019年に得た新しい価値観:不幸の方が幸せなのか?
2019.12.26
こんにちは。ボンジュール内藤です。
2019年を振り返ると、個人的なことですが新しい価値観を得たことが大きな収穫のひとつでした。
幸せであることは良いことです。しかし、幸せであることが必ずしも良いことではなく、不幸感を背負っていることも悪いことばかりではない、むしろその方が良いこともあるということ。こういう感覚は、遅ればせながらこの齢にして初めて得たものです。
あくまでも総論ではなく各論です。
精神的なダメージを受けることが続くと、誰でも凹むものです。しかし、何の精神的ダメージもなく満たされ、幸せを感じていることは必ずしも良いこととは限らない。ちょっとした日常の経験からそう感じることがありました。
実際のところ海外では不幸な方が創造性が増すという検証結果もあるのだとか。恐らくですが、精神的なダメージが大きい時の方が感受性が高くなるのでしょう。
それが本当であれば必然かもしれませんが、そんな精神状態を仕事に生かしていらっしゃる方もいます。芸術家や音楽家などのアーティストさんたちです。
例えば、天才バイオリニストとして名高い木嶋真優さんは「自分が幸せになると、自らぶっ壊しに行きたくなる」とおっしゃっていました。
理由はおっしゃいませんでしたが勝手に推察するに、幸せであることが不安なのではなく、幸せであることがバイオリニストとして表現する上で好ましい状態ではないと思っていらっしゃるようでした。感性が鈍り、表現力に欠けてしまうとか、そういう理由かなと拝察していました
満たされていたら気付けないこともたくさんある。これはきっと間違いないと思っています。
幸せの反対は不幸ではないかもしれませんし、不幸な経験をしたわけでもありません。仮にここでは幸せからほど遠い精神状態を「不幸」という言葉に置き換えさせていただきたいと思います。
不幸と自分で思えるほど精神的にダメージを受けると、見えなかったものが見えることだってある。満たされて幸せであることが必ずしも良いことであるとは限らない。極端にいえば不幸の方が幸せと捉えることもできる。木嶋さんの心境が0.1%くらい理解できたように思います。
精神的ダメージを受けているときに、むしろアップすることがいくつかあります。いずれにしても、ちょっとした「空気」の振動にも気付くような、感覚が研ぎ澄まされるようなことです。それがまた経験したことがない境地で少し心地よかったりして。
何と言いますか、皮膚の表面に繊毛のような小さい毛が付いていて、それがセンサーとして小さな空気の揺れにも敏感になる感じ。そして、どのような些細なことに対しても、感謝の気持ちがいつにも益して込み上げてくるのです。まあこれは常にそうあるべきですが。
くどいようですが、不幸感が増した方が幸せなこともあるというのは、あくまでも各論にすぎません。しかし、こんなことを経験し、自分の中では何か一つ価値観が広がった1年だったように思います。新しい価値を得たことは自分の中では収穫でした。今後の業務にも生かしていけるように思います。
それではみなさま、ごきげんよう。
※年内の営業は明日12月27日(金)まで、年始は1月6日(月)からです。
どうぞよろしくお願いいたします。
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