花研コーヒーブレイク
花は贅沢か清貧か
2018.02.21
大田花きの社員だったMさん(女性)が今月末で退社することに。
千葉の花き生産者さまのところに嫁ぐのだそうで、寿退社です。いまどき寿退社なんて言葉は時代錯誤なのかもしれませんが(少なくとも響きは時代錯誤な印象ですが、ともあれ昔でいうところの)いわゆるそれです。
引っ越しが伴いますので、今ひたすら物を捨てていると言っていました。
そんな断捨離中の彼女曰く、
「ミニマリストを目指して必死で物を捨てて片づけをしています。でも、何もなくなった空間にも、切り花だけは飾っておけますね。枯れたら花を入れ替えればいいだけだし、最後も廃棄すればいい。花って便利だなと思いました。
1輪あるだけで、物がない中でも豊かに感じさせれくれますね」
ミニマリストとは、余計な物を所有せずミニマムな生き方をする人のこと。minimal+ist(人)の造語で断捨離の後に広く使われるようになった言葉です。
そうか、花は贅沢品とされる向きがありますが、実は花を飾ること自体はむしろ清貧の思想に繋がるということですね。一切を捨て切り最後に残った1輪は、生きている人に心を与えます。
そういえば、某新聞社の記者さんも、以前お話ししたときに、
「うちの親はどんなにお金がない時でも花だけは飾っていた」
とおっしゃっていたことがありました。
贅沢に使ったり清貧の象徴になったり。
つまり、花は人々の生活に寄り添う社会財(あるいは社会的消費財)といえるのではないかと、そんな気付きを与えてもらいました。
Mさん、どうぞお幸せに。