花研コーヒーブレイク
フランスとじゃがいもとチューリップ
2016.02.29
商品をどのように広めていくかを考えるにあたり、心理戦を使った興味深い例をご紹介したいと思います。
はじめてジャガイモがヨーロッパに入ってきたとき、他の国に比べフランスでは比較的導入が遅くなりました。それは、フランスの農民たちはジャガイモを作ることを拒んだからです。生活者に人気のなかったジャガイモを作るのは抵抗があったのです。
しかし、飢饉に見舞われ、国民が食べるものの確保に難儀したとき、小麦に代わりジャガイモ生産を提案した薬剤師のパンマルティエは、ある方法で農民にジャガイモ生産を受け入れてもらうことに成功し、国民を飢饉から救うことができました。
さて、パンマルティエはどのように農民に生産を促していったでしょうか。
言わずもがな、今となってフランスでジャガイモといえば最もよく食される食材の一つ。世界でも生産量は第8位(2013年,FAO推計値)。このきっかけをつくった頭脳戦略と言ってもいいかもしれません。
もし、みなさまがパンマルティエだったらどうしますか?
ジャガイモの生産性が良く、おいしいこともよく知っています。(ちなみにパンマルティエはプロイセンの捕虜になったときに食べ、おいしくて生産性も良い食材であることを知り、飢饉に備え提案したそうです。)
フランスの民にジャガイモの良さを知ってほしい、しかし農民たちは大衆に好まれないジャガイモを作ろうとはしない・・・
このような状況で、ジャガイモという野菜を広めていく、あるいは農民に生産意欲を持たせるために、どのような手段をとりますか?
この話はご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。
フランスの薬剤師パンマルティエがフランスでジャガイモを普及させた方法。
それは、「農民にじゃがいもの生産を禁じた」ということです。
パンマルティエは、自らジャガイモを植え付け、
「これは“土リンゴ”といい、非常に美味で栄養に富むものである。
王侯貴族が食べるものにつき、これを盗んだ者は厳罰に処す」
と畑の前に看板を立て、そこに昼間のみ警備を付けました。
すると、これを見た農民は好奇心を掻き立てられ、警備のない夜間に農民たちが盗みに来て、ついには畑のじゃがいもは全てなくなってしまいました。盗まれたジャガイモはあちこちで生産され、大変人気の食べ物となり、フランスの人々の間に広まっていったそうです。
看板を立てる前に当時の王ルイ16世とマリーアントワネットにジャガイモの花を献上して、貴族の間でジャガイモブームを起こしたことも戦略上重要なことでした。
グッドアイディアですね。
なんでもこの方法はオランダで栽培されていたチューリップの盗難にヒントを得たそうです。
チューリップの父と呼ばれるクルシウスが、珍しいチューリップの球根を栽培していたところ、誰にも譲ろうとしなかったので、園芸愛好家たちによって球根が盗み出され、オランダでチューリップ栽培が広まるきっかけになったのです。
時空を超えて今の時代、日本でこのような方法がうまくいくかどうかはさておき、アイディアのヒントというのは色々なところに隠れているものですね。問題の解決策を見出そうといつも思考のトルクを回しながら社会を見ることが大切なのかもしれません。