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なぜ「対(つい)」なのか、「対」の反対はなに?

2024.11.21

花研の一研究員です。「対(つい)」で購入する花きって結構多くあります。

お榊、松、仏花などなど。神社仏閣、一般家屋のお玄関(または門構え)、なにか儀式事でも入口に柱が二つあるのが定石。左右にあるものですから二つあります。しかし、どうして二つ、しかも左右同じなのでしょうか。日常の当たり前にも何か意味があるのではないかとにあえて疑問を持ちいました。

 

この対のデザインは、生物の対称性に由来するのでしょうか。昆虫は左右に足が3つずつあります。爬虫類・哺乳類は多くの場合手足が左右に同じようにあります。ウィキペディアを調べたら、生物の対称性というのは大変古い段階から獲得したようです。それもなんとなんとカンブリア紀。この時代、・・・といっても数億年前ですが、爆発的に様々な生き物が生まれたそうで、そのときに対称性も得たとのこと。

 

ここから一気に飛躍していいものか気になりますが、左右対称というのは原始からDNAに刻まれた性質ということになります。ウィキペディアの検索結果はここです。書いてあることは妥当だろうと思います。

 

とはいえ、生物だって一つしかないものもあります。頭とか尻尾とかですね。こちらもまたカンブリア紀並みに古くからDNAにありそうです。生物で頭がないのは粘菌ぐらいなんじゃないかなー。話を戻して、文化的活動・祭事においては、一つの飾りつけというケースもあります。例えば正月に玄関に飾る正月飾り、一つですね。門松は二つだけど正月飾りは1つ。

また、「一つ目小僧」はどういう理由で一つ目なんでしょうか。これは多数の文化人類学的な考察がありますが論争は決着がついていないようです。対に対抗する一つを考察すると何かわかるかと思ったのですが、知識が追い付かずでした。

 

更に更にですよ、これは特別なケースなのかなあ・・・、ひな祭りで飾るひな壇では左右違う植物を飾りますね。左近の桜、右近の橘、違う植物ですね。なぜこの植物なのかはネットでちょいと調べれば変わりますが、同じではない理由はなんでしょうか。知るためにはさらに一段深く調べる必要がありそうです。

 

となると、対の反対はナニでしょうか。非対称なのか、1つなのか・・・

ということは、わたしたちもお供えする際に左右で異なる花束を手向けてもいいのではないでしょうか。左右非対称性の花飾り文化が発達していないのは、これまた何かあるのかもしれませんが、これまた右に同じくであって左に同じとは言わないように、不勉強でわかりません。

などなど、対で飾ってある植物を見ると、どうして一対を、それも同じようなもの二つで一つという選択をしたのか、というのはちょっと気にになるのでした。完璧なほどに対称になっている門松などは、形式美なのかもしれません。正月にはそんなことを考えながら、あちこち見て回っています。

どなたか日本の飾り方の「対」の理由について、お詳しい方がいらっしゃればぜひご指導いただけますと幸いです。

 

ごきげんよう。

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