OPERATIONAL PERFORMANCE花研コーヒーブレイク

古今和歌集――なぜ「コキンわかしゅう」と読むのか

2013.12.13

 

花研の前を通りすがる放浪の民に聞かれました。

「なぜ古今和歌集は、ココンわかしゅうではなく、コキンわかしゅうと読むのか。

わたしはこの40年間、ココンわかしゅうだとばかり思っていたよ。いや、しかしよかった、私はこれまでほとんどこのタイトルを口にしたことがない。」

 

う~ん、言われてみればなぜでしょうか。

皆様も同じかと思いますが、今までは息をするかの如く、はたまた「チューリップ」の歌を空で歌うかの如く「コキンわかしゅう」と読んでいたので、なぜかと聞かれても、それはなぜ呼吸の仕方を知っているのか、或いはなぜチューリップの歌を知っているのかと聞かれているにほぼ等しい。

 

いや、しかしなぜでしょう。「古今東西」というように、古今ときたらココンと読むわけです、普通は。

英語という言語の中で、古英語から中英語、近代・現代英語に変化してきたように、日本語でもその言語で歴史的なビッグイベントがあり、どの時代にその単語が生まれたかで同じスペルでも読み方が変わるものなのか、なんて思ったり。

ま、それはないか。言語の歴史を変えるようなビッグイベントは、英語ほどはなかったしなー。

流浪の民の質問を忘れることができず、調べてみました。そしてその読み方には明確な理由があることがわかりました。

 

漢字には、音読みと訓読みがありますが、さらにはその音読みの中に、漢音(かんおん)と呉音(ごおん)とがあります。

漢音とは奈良時代から平安時代初期にかけて、遣隋使や遣唐使などの留学僧によって伝えられた音のことで、中国語の近世音的な特徴を伝えていることが多いのです。

一方呉音とは、漢音が日本に伝わる前に定着していた漢字音のことで、中国語の比較的古い読みの特徴を持っています。

 

同じ漢字を読みますので似ていますが、漢音 のほうが当時の人にとっては新しく、中国語の音の中でも最も体系的に整っていたと言われます。

漢和辞典を引くと、「漢マーク」、「呉マーク」があることに気付きます。

例えば「生」という字について、漢音は「セイ」、呉音は「ショウ」、「名」であれば漢音は「メイ」、呉音は「ミョウ」ですし、「万」に関しては漢音が「バン」で呉音が「マン」といった具合です。

 

時の持統天皇は漢音普及に努め、さらに桓武天皇はぬぁんと794年に「漢音奨励の勅」というのを発しました。これは、“みなさん、漢音を学びましょう!”という天皇からのお達しです。儒学を学ぶものは漢音の学習が義務付けられたり、当時は漢音を学ばない人は中国への渡航許可が下りないとさえされました。そのくらい漢音を学ぶことが重要視されていたのです。

 

「今」という字を調べると、漢音が「キン」、呉音が「コン」と掲載されています。なるほど。

古今和歌集は日本初の勅撰和歌集(天皇の命によって編纂されたもの)ですから、ここは桓武天皇の仰せの通り漢音が採用されて、「コキンわかしゅう」と読むというわけですね。

 

このような経緯があり天皇家に関することは「今」をキンと読むことになったのです。

 

 

ふむ・・・言われてみれば、現在の今上天皇は「キンジョウてんのう」と読むではありませんか!

 

ぬぁ~るほど、流浪の民に投げられるまで、こんなこと考えたこともありませんでした。当たり前と思っていたことにもトリビアな理由あったことが分かると、面白いですねー。

花研をさすらう流浪の民よ、ありがとう。

 

by 花研 なぜ課対策室

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