花研コーヒーブレイク
NHK「カムカムエブリバディ」第55話より オダギリジョーがもらった花束の葉物と荷姿について思ったこと
2022.01.28
どうもどうも、ボンソワール桐生です。
たまたまテレビをつけたら、朝の連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」をやってました。大阪での音楽コンテストでオダギリジョーがトランペットの演奏で観客を沸かせ優勝します。そのときに花束をもらうのです。花はピンクのバラと赤いカーネーション、葉物はたぶんロべだと思います。葉先の柔らかさからアレカヤシだという意見もありますが、映像からだけでは特定できません。
ここではロベと想定して話を進めます。実際に使っていたのがアレカヤシだったとしてもロベのように見せて使っていたのかもしれませんし、わからないので。
時代設定が1963年頃です。葉物といえば関東では八丈島などの島しょ産が盛んですね。
偶然ですが、ちょうどいま八丈島の花き生産を確認する必要があり「八丈島の園芸植物」という本をぱらぱらとめくっていました。ここに八丈島の園芸の歴史が紐解かれています。レザーファンの導入は昭和40年に入ってか。なるほど、そうか1963年とは昭和30年代。この時代はレザーの切葉は関東も少なかったと思いますが、同じように関西でも少なかったのか、それでオダギリジョーの花束にはヤロべの葉っぱだったのかなと想像。私の時代考証はいい加減ですが、このドラマにアドバイスされている方はきちんと調べてこの花束を作ったのだろうなと思います。
ついでに同書の記述は八丈島からの物流について参考になります。昭和30年代の八丈島中ノ郷郵便局に集められる八丈島の葉物(主にロべが梱包された荷物だったそうです)を詰めた郵便小包の量がびっくりするほど多く、暮れの北海道産新巻鮭と共に全国的に有名だったそうです。全国的に有名だったって本当にすごいことですね。
この葉物の荷姿ですが、炭俵と箱と、木箱のようなものと、いくつかあったのではないかと思います。この部分における荷姿について明記はないのですが、前後を読むとそのように推測されます。そして、昭和46年に就航した貨客船「ふりいじあ丸」での切葉輸送時に全面的に段ボール出荷に切り替わったと明記してあります。
昭和30年代から40年代にかけて荷姿の過渡期(段ボール箱と炭俵など様々)があり、40年代後半以降急速に箱化する。ちなみに長野県千曲地域の資料でも昭和37年後半から段ボール箱でのバラ切花の出荷とあります。こちらは、鉄道輸送や自家用トラックでの持ち込み輸送等から運送会社への委託に変更となったことなどから段ボールへ移行したそうです。この本によれば昭和37年の時点では市場には段ボール箱での出荷は無かったそうです。(「千曲の郷の花づくり」より)
昭和40年代の物流の発展と共に段ボール箱輸送は社会に広く浸透したのですね。物流についての話は今週の大田花きの磯村社長のコラムでも取り上げらられております。段ボールは段ボール協会にHPによればリサイクル率が95%以上とのことから、資源としては大変大切に使われているようです。
最初と最後でずいぶん違う話になってしまいました、失礼しました。
それではみなさまごきげんよう。