花研コーヒーブレイク
艱難汝を玉にす
2018.12.28
2017年、全力疾走したつもりでも、自分でもずっこけるほどすっからかんな結果となることがありました。外部要因として、自分ではどうにもコントロール不能なところから災いが訪れたのも2017年でした。
2018年、以前小欄でも書かせていただきましたが、「焦」や「滑」等に象徴されるような気持ちの焦燥感に追われ、ふわふわと上滑りな思考を繰り返していたようにも思います。
某占い師の伝達によると、、アタクシは2017年から3年間大殺界の時期に突入しておりで、あと1年(2019年も)大殺界が続くそうです。(日頃は全く占いなぞ頼みにしないタチですが、その占い師の使徒に告げられました)
そういわれると、少し気落ちしますが、「艱難(かんなん)汝を玉にす」という言葉を思い浮かべました。
艱難=困難や苦境は、自分を磨き玉にする。苦労を乗り越えることが、自分を成長させるということです。中学の時、正月にある教師から言い諭された言葉です。だからどのような苦労でもポジティブに捉えて受けなさいと。今は自分自身を磨く時と思い、むしろ成長できるタイミングと思えば大殺界もwelcomeです。
そんなポジティブ思考を装っても尚、やはり少しでも厄は祓いたいし、清めたいもの。
大晦日の晩にいただく年越しそばは、「そば切り」(そば粉で作った麺)を食べながら、「きり良く」1年を締め新年を清々しく迎えることができます。もともと江戸時代中期に端を発する習慣なのだとか。毎月末にそば切りを食べる習慣がありましたが、年末に食べる習慣だけが残ったと考えられているそうです。
そばを食べる理由は、よく言われているように、そば長いことから、家運や寿命が長く続くようにという願いに通じるからいう説、また、そばが五臓の穢れを取るので無病息災を祈るためという説もあるようです。
年越しそばの習慣は江戸中期の元禄頃、町人文化として始まったようです。
また、面白いのは、そばには粘着力があり、江戸の職人は大掃除の時にそば粉を練った団子を作り、部屋の隅々まで塵や埃を取るのに使っていたのだとか。とりわけ金銀細工の職人は、この方法で年中飛び散った金銀の粉をかき集めていたそうです。それを七輪などで焼くとそばが灰になり、金銀の粉だけ残るので、「そばは金を集める」ということわざが生まれたというのは、なかなか興味深いですね。
アタクシの場合、ここまで金や銀など高価なものとは無縁の人生を歩んでいますが、2019年の健康と平穏を願い、久々に自家製年越しそばをいただく予定です。
2019年は地に足を付けて研鑚を積み、頭上を嵐が通り過ぎるのを待つように、大殺界をじっと耐え忍びたいと思います。
年越しそば一役買ってくれるものと思います。