花研コーヒーブレイク
玉川温室村
2018.03.26
天気の良い某土曜日、たまたま降り立ったのは世田谷の「玉川温室村」という名のバス停。
多摩川沿いにあるそのバス停付近は、桜やユキヤナギ、菜の花、花ニラなど、春の到来を象徴する立派な花木や草花が見ごろを迎えていました。
そうか、このバス停付近でしたか。
このバス停の名と日本の園芸には深い繋がりがあります。
ご存知の方も多いと思いますが、この温室村こそ日本の企業的花き園芸の発祥の地。
温室園芸ができる前は水田でした。古くはこの地も海でしたが、長い年月の間に河川の氾濫によって次第に埋まったのです。鎌倉幕府の命により六郷用水が切り拓かれ、その周辺で稲作が奨励。
そこに昭和初期、三十数名の園芸家が大温室を作りました。カーネーション、バラ、メロン、スイートピー、洋蘭などが栽培されたのです。多摩川沿いにあるだけに沖積土の肥沃な土地で、田園調布から上野毛に続く丘陵により北風が防がれ夏は涼しく冬は温かいという、花き栽培に適した場所でした。
パッと周囲を拝見したところでは温室村の名残と思しき風景は見当たりませんでしたが、住宅街を探すと小さな石碑があるのだとか。温室発祥当時の面影はほとんどなく、バス停の名前に残っているだけですが、花き流通に携わる者としては、このバス停の名前を見ると感慨深い思いに浸ってしまいます。
今回はこちらの書籍を参照させていただきました。
『世田谷の園芸を築き上げた人々』
昭和45年(1970年)3月発行・・・ちょうど48年前。
発行所・・・城南園芸柏研究会
記録・・・湯尾敬治氏(世田谷区)