花研コーヒーブレイク
ノルウェーの悲劇、 弔いの花
2011.08.03
ノルウェーで自国民が自国民を大量殺戮してしまうという痛ましい事件が起きてしまった。
日本の3月の震災と同様、ノルウェーにとっては国家の大惨事であり、世界に与えた衝撃はあまりにも大きい。
自国民を傷つけるとは、少し前の日本では(理由は異なるが秋葉原の事件のように)起こり得たことだが、絆精神が芽生えた今の日本の状況からは少し考えにくくなった。もちろん“世界で最も国民が幸せな国”の一つとされるノルウェーにとっても、まさかこんなことが起こるとは予想だにしていなかったであろう。殺人犯がウトヤ島で銃乱射を始めたときに、“冗談かと思って”一瞬逃げ遅れた人もいたと聞く。行き過ぎた愛国精神が故の悲劇である。
他国の政治に関して小欄であまり言及するつもりはないが、個人的には対岸の火事ではないと思っている。
日本も超高齢化社会を迎え、労働力を海外からの人々に依存するパイが大きくなったときに、状況によっては日本人労働者、あるいは希望の仕事に就けなかった人たちは「海外の人たちに仕事を奪われた」と思うかもしれない。こうなってくると不満の矛先はノルウェーの殺人犯(名前を記載するのも憚られるくらいだ)のように歪んだ方向に向けられるということは十分あり得る話だ。しかも65歳以上の人口がおよそ23%の日本で(世界平均は約7%)、その日が来るのはそう遠い将来ではない。
犯人は自国の開かれた移民政策に強い嫌悪感を持っていたわけだが、日本については「多文化主義を拒否している素晴らしい国家」と言及していたという。そして現在に至っては精神鑑定の分析医を日本人にしてほしいと要求しているというから皮肉な話だ。日本人分析医の方がクレイジーピープルの精神面をよく理解できるからという理由なんだそうで。
前置きが長くなったが、ここで言いたいのはテロの被害者の追悼集会で市民が弔いのために手にしていた花は、何と“赤いバラ”。ノルウェーでは赤いバラが弔いの花になるとういこと。
ネットで追悼集会の記事を探していただき写真をご覧いただけば、人々が手にしているのは赤い花が多く、また写真も他の花ではなくあえて赤いバラを持っているところが撮影されているように思えるほど。
赤バラを弔いの花として使う文化の範囲は地域にしてどこまでなのだろう。例えば英国ダイアナ元妃の葬儀を思い出すと使われていた花は白だから、やはり赤いバラを使うというのはヨーロッパ全体というよりも、もう少し限定された地域の文化のように思える。
お隣の国スウェーデンは同じスカンジナビア半島で大変近い文化や言語を持つ国であるが、先月スウェーデンのあるお花屋さんを訪ねたときに葬儀の花の顧客提案メニューを掲載している“葬儀花のカタログ”があった。このカタログを見る限り、白に限定しなければいけないというルールはどこにも見当たらない。これが葬儀花の提案メニューであることを知らない日本人に見せたら、むしろお祝い花と思うだろうというくらい明るく派手なものばかりであった。
実際にお店の方が見せてくれた葬儀花を見せてくれた。真っ赤なバラで作ってある。
“あちらは作りかけよ!今ちょうど作っていたところなの”と指差したのは・・・
小さめだが、やはりこちらも赤いとピンクの明るいもの。
ちなみにこのお花屋さんは町の90%の葬儀花を担う。
葬儀花だけでなく、お墓に行けば赤い花が植えてある。
明るい花を使うことに何か意味があるのかもしれれない。今度聞いてみよう。
かと思えばちょっと高級そうなレストランのテーブル花には、なんと白の輪菊が挿してある。
上の写真はストックホルム旧市街のど真ん中にある、パブより100倍上品なレストランの光景。
花の用途がまるで逆である。
我々日本人の感覚では「白の輪菊をおしゃれなレストランに・・・」とは提案するのもはばかられるような例ではあるが、所変わればといった感じで面白い。
グローバル化が進む中、日本文化の尊重とともに他国文化の受容が大切である。ノルウェーのテロ犯ももう少し「他」を受け入れることができていればこのような悲劇は引き起こさなかったかもしれない。