花研コーヒーブレイク
花を詠った古典 【桃の節句】
2011.02.15
桃の節句が近づきました。
発祥は古代中国で、3月に行われていた“身の穢れを清める行事”に由来します。この行事を3月最初の巳(み)の日に行うことから「上巳節(じょうしせつ)」と呼び、日本へは平安時代に入ってきました。室町時代には貴族の女児たちの人形遊びである「ひない祭り」と融合し、今のひな祭りの原型ができました。
桃はバラ科、中国原産ですが弥生時代の遺跡から実の核が出土しているため早くから渡来したものと思われます。
『芸文類聚』に「桃ハ五行ノ精、邪気ヲ厭伏(ようふく)シ、邪気ヲ百鬼ヲ制ス」とあるように、中国思想により桃は邪気や鬼を祓う力があると信じられてきました。桃がその花の明るさから冬の暗さを追い払ってくれる神聖な木とされてきたこともまた、女児の成長を祝う行事に使われている所以です。
神話ではイザナキノミコトが黄泉(よみ)の国から逃走する際に桃の実を投げて追手をかわすことが語られています。『日本書紀』にも「桃をもちて鬼を避(やら)ふ縁(えに)なり」(桃の枝を鬼に投げつける)と記載があります。このことから、昔から邪気を祓う意味で使われてきたことを窺い知ることができます。
鬼退治の桃太郎で「桃」が使われるのもそのためです。平安時代、日本に入ってきたばかりの上巳節(桃の節句)といえばといえば、川上から盃を流し、自分の席に流れ着くまでに歌を詠む(曲水の宴)などの催しをしていました。(その際に、邪気を祓うため桃の花弁添えて白酒を飲んだことから桃の節句と呼ばれるようになりました)
「さらばまた弥生三日の影は やさしそへよ桃の盃」(為尹千首)
この行事は江戸時代に五節句の一つとして制度化され、雛壇の桃に花を飾るなど、現在に近いひな祭りとして民衆に定着しました。