花研コーヒーブレイク
12月11日松市開催
2016.12.11
本日12月11日(日)、大田市場では松市が開催されました。
本日の松市と来週の千両市は、1年の中でも日曜日に開催される特例市。日頃セリではご購入されない買参人様もセリ場に大集合です。
ココで少々松のウンチクについて。
日本に自生する松は6種類。古くから馴染みのある植物で、万葉集に80回、古今和歌集には20回登場、更には古事記にも記載があります。
いまさら申し上げるまでもないかと存じますが、新年の到来を祝う植物を「献歳(けんさい)植物」といいます。松も献歳植物ですが、そのほか梅、南天、センリョウ、ユズリハ、フクジュソウなどもそれに当たります。お正月に松を飾るようになったのは平安時代末のこと。乱世が続く平安末期に、来世の救いを説く浄土宗が普及、庶民は未来に希望を持つようになり、家族に幸せをもたらしてくれる年神様を呼び込むために松を飾りました。魔除けの意味もあったようです。
では、なぜ松は祝いの木や神の依り代とされるようになったのでしょうか。
ひとつは常緑樹で通年青々として枯れないことから「栄木」として1年の繁栄を願ったたため。
また、松は林になっても密林になるほど群生しません。つまり松林は明るい。このことから、松は神の通り道と考えるようになったようです。他の樹木に比べると、寿命も比較的短い松ですから、人々はそれ自体を神様として崇めることなく、神の依り代としての意味を持たせたのです。一方でスギやヒノキ、クスノキ、ナギなどは数百年から数千年と寿命が長いことから、「神木」として崇められました。
門松を飾るようになったのは、平安時代末期の庶民文化ですが、鎌倉時代になると門松は武家社会に広がりました。武士の家では門松を「立てる」と言い、大きな枝も使うようになりました。現在の松と竹をあしらった大門松は、武家社会が魔除けの風習である大盾槍(おおだてやり、鬼退治の槍)をまねたのが起源。だからこそ、竹が鋭く切られているわけですね。
さらに江戸時代には、徳川発祥の地である三河地方から松を取り寄せ豪華な門松を飾ったと言います。そこから大名家の間で大きくて華やかな門松が流行りました。現在のデパートや企業に飾られる派手な門松の起源は江戸時代にあります。
一方で商家では比較的地味な松飾が使われました。門松発祥の地京都でも、松の枝を1本ずつ門の両脇に飾るだけが一般的。
このような感じでシンプル、質素に飾ります。庶民や商家の文化を継承した表れということですね。
松を飾る文化一つにしても、起源や文化発展の流れをこうしてみると面白いものです。
2008年のものですが、「産地うんちく探検隊」で松・千両の生産者さまはこちらからどうぞ。(動画版)
それではみなさま、良い日曜日をお過ごしくださいませ。